『Spring Carol』

美しい言葉の羅列。
静寂と、透明さを秘めた、空間。
静謐な歌声。
響く。
響き渡る。
空からは桃色のあめが降る。


「いつ僕はあの空中庭園へ帰られるの?」
 そう云った少年は枝垂桜をつかんで空いた空間をすり抜けて、噴水の前 に歩いてゆく。溢れる流水をつかむように、手を水の溜まった中へ入れた。
 私は、考え事をして枝垂桜の下に仰向けに横たわっていたのだが、この 従弟の不可解な言葉にふと、現実へと導かれた。私は起き上がり、従弟を 見た。
「何をしているの?」
 言葉は返らない。従弟も、どこか別の世界へ旅立っているのだろうか。し ばらく黙って、この国とは違う色彩の色素の薄い髪をもった彼を見ていた。
従弟は体が弱く、しばしば学校を休みがちだった。その証拠に体つきが華 奢だった。引き締まっているというよりも、繊細で折れそうな腕や、足、顎を 持っていた。このところ毎週のように彼を連れてここへ来る。最初は一ヶ月 に一度連れていってくれないかと彼の母親、つまり私の叔母にあたる人に 頼まれた。叔母夫婦には彼以外の子供がいない。ただ、この従弟とはほと んど関わりがなかった。盆、暮れに顔を合わす程度だ。それがどうして私に 頼まれたのかは分からなかったのだが。ただ、叔母によれば、彼が強く望 んだとの理由だった。それも不確かで、ただ、彼がここにいるということしか 分からなかった。
 従弟はしばらくして、噴水に背を向け、私のいる側へと、枝垂桜をつかみ ながら歩いてきた。彼の独特の碧玉色の目がよく見られるほどへと近づい たころ、彼は口を開いた。
「・・・何も。」
 先ほどの質問への答えだろうか。答えたはずの従弟は、この現実にいる とは思えなかった。まだどこか上の空で、意識の半分以上を別の世界にあ ずけているというふうだった。
 私もどこか空ろな気分が抜けず、まだ桜に埋もれているような気分だった。
「今年も桜が散ってしまうわね。」
「・・・・・・今年も・・・。」
 私の言葉に従弟は心ここにあらずとうふうにつぶやいた。
「夏になったら、どこへ行きたい?」
「・・・・・・。」
 従弟は何かつぶやいてはいるのだが、よく聞こえない。もう一度たずねて も、頭を横に振るばかりで答えてはくれない。あきらめて空を仰いだ。雲は 流れ、池の中の鯉をみているようだった。
 陽が暮れ、電燈に明かりの灯されるようになり、私たちはそこをあとにし た。
 また一週間がたち、私は叔母を訪ねた。いつものように私は従弟の所在 を尋ねた。しかし、叔母は黙るばかりで答えない。少し驚いたような目をし て私をみた。私はあきらめ、一人であの場所を訪ねた。桜はもう散りきり、 若い黄緑色の葉が木を包み込むようにして光に輝いていた。いつまでたっ ても、従弟はこない。次の一週間後も、その次も、ずっと。先日あめが降り 、風が少し寒く、少し前までの暖かさは途絶えてしまった。しばらくして、私 は思い切って母親にあの従弟はどうしたのかと尋ねた。
「・・・いとこって静江ちゃんのこと?」
「ううん。小学生くらいの男の子の・・・名前は・・・なんだったかしら。」
 母親は不思議そうな顔をしていた。
「あなたのいとこにそのくらいの年の子はいないわよ。・・けど・・。」
「けど、何?」
 母親はため息をついてから答えた。
「お母さんの姉さんが以前流産してしまったのを知っているわよね?」
「うん。」
「もし、その子が生きていたらちょうど小学生の6年生くらいだったのじゃな いかしら。男の子だったときくし。」
 しばらく、その言葉がわからないように、理解できずにいた。
「・・・まさか、そんなわけないでしょうけど。」
「・・・けどその子目が碧色で、色素の薄い髪をしていたわ。」
「・・・ご先祖様に外国の人はいないわ。姉も・・・。」
 私は叔母の旦那さんをしっている。じゃあ、あの従弟は誰だったのだろう。いや、私に従弟など元からいなかったのだ。私が信じていたのは誰?
「桜の下で夢でもみていたんじゃない?」
 そうかもしれない。彼は、桜の精か、何か。
 桜にうもれて、歌声のような桜のささやきが聞こえる。
                     Fin.
[back] inserted by FC2 system