ヴォイセス続編




・・・英国の夏は短い・・・暖かい日が続いたと思ったら、もう涼しくなってくる。空も段々と寂しい秋の色合いを 帯びてくるのだ。そう、時は初秋。何とかケンブリッジのトリニティ・カレッジに受かりゆっくりと大学の寮に住むために必要なものの 荷造りをしていた。去年は司祭の息子に一年ぶりに再会した。それから時々彼にあっていた・・・けど、彼も私と 同じ年だ。・・・多分どこかの大学に行くはずなのだが彼がどこに行くのかを知らない。同じケンブリッジならば また会える機会もある。・・・段々と彼は友人を無くした負い目から落ち着いてきたようにおもえた。だから、 現実へ目が向いてきているのではないかとは思えたが・・・いつものためらいからかはっきりとしたことは 彼から聞けずにいた。今は夜7時・・今から行けば彼に会えるかもしれない。・・・彼は未だに厳粛なローマ時代の 修道士のように毎日同じ時刻にあの聖堂へかよっていたのだ。・・・もう誰にも使われていない廃屋となった聖堂へ。
 聖堂を包む景色は緑に覆われている・・・木々が立ち並び、聖堂を包みこみ守っているかのように。ただ月の光が 聖堂を白く照らし出す。このあたりは人通りも少なく・・・とても静かだ。厳粛な彼が通うのには丁度良い場所なのだろう。
 カツーン・・。私の足音は聖堂に響く。私が入ってきたことに聖堂が気づき、震えているかのようだ。静寂を乱すものを迎えいれるのに。
「こんばんわ・・・」
 私の声に彼ははっと気付き、入り口から入ってきた私の方を振り向いた。
「・・・ああ、君か。久しぶりだね・・二週間ぶりかな?」
「・・・そんなにたったかしら・・・。元気そうね?」
「いつも通りだよ・・・。」
 私は彼の隣を通り過ぎ、祭壇に跪き、祈りを捧げた。・・・ほんの数分の心を静めるための祈りだ。聖堂は 中に入ってしまったものには優しい。祭壇に行くと守られているような気持ちになる。
「私ね、ケンブリッジに行くの・・・今年の10月から・・・。だからしばらくここに来ることがなくなってしまうの。」
 彼は、そんな私の言葉に少し驚いたようだった。もしかしたら、同じ大学なのかもしれない。
「・・・大学?」
「そう・・・トリニティに受かったの。」
「・・・そうか、おめでとう。」
「ケス・・・あなたはどうなの?」
「僕は・・・今年は大学へは行けないんだ。・・・試験に落ちて・・・もとよりやる気がなったんだ。・・・あっは だめ人間だろ。」
「・・・そんなこと・・・。」
「こういえばいいかな・・社会の目からみたら駄目男さ。・・・けどまだ自分のために何をしていいか分からないんだ。 自分のため・・・なんて。」
 結局彼は彼の死んでしまった友人の影からのがれられないのだ。・・・私は何の力にもなれないのだ。友人という 存在にもなれたかもあやしい。私は勝手に友人だと思っているのだけれど。
「あなたには時間が必要なんだわ・・・・。」
「時間・・・僕の時間は止まったままなのかもしれないな・・・・」
 とても寂しい言い方だった。
「ケンブリッジに行っても・・・たまにここへ来てもいいかしら?」
「・・・ここは僕の所有物じゃない・・・好きにくればいいよ。」
「じゃあ、そうする。」
 彼の口調がまた穏やかになり、ほっとした。
「・・・ねぇ・・・いつまでここに来るの?それには終わりがあるの?」
 私は彼の核心をついた。いつまでたっても私も彼も変わらないのならどこかで私は決着をつけなくちゃいけないのだ。 このままずっと変わらずにいることはできない。・・・私たちはもう大人と認められている年齢だ。どこかで 子どもという殻から抜け出さなければならない。このまま穏やかな時間を過ごすことは不可能だ。いつか終わりが来る。 それならば、私が自分でどうにかしたい。誰かにそれをされるなんてまっぴらだ。
「君はもうここへは来ないってことかい?」
「いいえ。・・・ただ私たちは生きている人間だってこと。時を止めることはできないわ。どんなに辛くても、 生きるということを受け入れていかなければいけない・・・時のなかで生活しなくちゃいけないわ。」
 彼は無表情で私の方をちらりと見た。そうして目を閉じた。
「・・・正直に言おう・・・・僕は彼がいない人生なんてありえないんだ・・・・彼がいないなら、 この世界でどう生きていけばいいのか分からない・・・。」
 彼の顔はあくまで無表情だった。私はそれにくじけそうになった。・・・彼が無くなった友人をとても大切に おもっていたことは分かっていた。・・・私が彼には適わないことも。
「・・・なら、どうしてあなたは今・・・・生きているの?」
 これは聞いてはいけないことだろう。・・・けれど、私が彼のことをあきらめるためには必要なのだ。どうしても 彼に確かめたい。・・・これから彼が私が来なくてもこの地球のどこかで生きているという確証が。それが 分かれば、もう私は必要ない。時々、彼の様子を確認しにこなくてもいい。
 しばらくの間があった。
 木々が風に揺られざわめく中、やっと彼が口を開いた。顔はうつむいていた。
「・・・それは・・・・。」
 私は言葉を待った。きっといずれにせよ、彼の言葉を最後の機会だからだ。聞き逃せるはずがないのだ。
「・・・君のせいだ・・・。」
 以外な答えだった。・・・一体私が何をしたというのだ。まるで責められるように言われ戸惑いを隠せなかった。 もちろん、私が彼の生きがいになどなりたいと思ってもなれるはずがないのでそんな夜迷いごとは考えなかったが。
「私?・・・なぜ・・・。」
 またしばらくの間があった。
「君が僕の邪魔をしたんだよ。・・・全然気づいて無いの?罪を償おうとしていたんだ。・・・そのための日に 君はまた僕の前に現れたんだ。」
「・・・いつ?」
「君はその日・・・僕の話を聞いたじゃないか・・・。どうしてここに来ていたのかを知りたがっただろう。」
「それはそうだけど・・・。」
「君に聞かれて・・・僕の計画は駄目になったんだ。・・・君と来たら気まぐれに顔を出すもんだから、いつ来るのか と恐々して・・・とても静かには計画を実行できないことが分かったんだ。」
「・・・それは悪かったわね。・・・でも・・・。」
「・・・でも何?」
 つい私は口走ってしまったことを後悔した。私が彼に言おうとしたのは、今言うべきでは無い言葉だ。 けど、これが彼と会う最後に、絶好する日になるのならば、言ってしまおう。言わずに後悔するよりは ずっといいのかもしれない。
 勇気を振り絞り私は彼の方を見据えていった。
「・・・でも、私は・・・・・あなたがこうして生きていてくれてうれしいわ。」
「・・・。」
 彼は私の言葉に目を見開いた。・・・どうせ私が嫌われていることは分かっている。なら、早々に 決着をつけてしまえばいいのだ。私の想いに。
「・・・あなたが大切だから・・・この世界に生きていてくれて、私と話をしてくれて・・・私は嬉しかったの。 つまらない私の話を・・・あなたは・・・優しく聞いてくれた。とても嬉しかった。・・・あなた以外には 話せなかった・・・あの頃の私のいいようのない寂しさを・・・。・・・すごく嬉しかったの。だからあなたに 生きていて欲しい。・・・あなたが今生きていてくれることが嬉しい。」
 彼は黙って私の話に耳を傾けていた・・・いつものような穏やかな顔で。・・・聞いてあげるよって いてくれているかのようだ。・・・考えてみればこれは彼にとって無理をしていたのかもしれない。自分の 悲しみで苦しかったのに・・・私の苦しみまで聞いてくれた。あの頃は家族のことで上手くいってなかったのだ。
「・・・僕は・・・。」
 彼が口を開いた。私は何を言われても、受け入れなくてはいけない・・・それがどんなに自分にとってつらい ことでも・・・私はそれを決心してきたのだから。
「・・・僕は君が僕のことを聞いてくれて・・・・本当は少し救われたんだ。・・・ごめん、迷惑だった わけじゃないんだ。・・・本当は嬉しかった・・・。」
「・・・そういってもらえると嬉しいわ。」
 思わず私は目の辺りが熱くなり涙がこぼれた。彼がそんな風におもっていてくれてうれしかった。・・・もう それで十分だ。・・・私も少しは彼の役に立てたのだ。しばらくはつらいだろうが・・・きっと彼を諦めきれる。 ケンブリッジへ安心していける。
「・・・本心なんだよ・・・」
「うん・・・・すごく嬉しい。十分だわ。」
「・・・君はもう、二度とここへは来ないの?」
「分からない・・・もう、ここへは来ないかもしれない。・・・私は十分与えられたから。」
「・・・一年待っていてくれる?・・・」
「え・・・・。どういうこと?」
「・・・だから・・・僕を一年待っていてくれるかってきいているんだ・・・。」
 彼が一生懸命にいうので、私は気迫負けしていた。・・・分かっている。私が彼の支えにはなれないことは。 甘い考えなど抱いてはいけないのだ。
「・・・待つわ」
 彼が何を考えているのかはわからなかった。どうせくだらない期待など抱いてはいけないのだ。
「・・・来年・・・僕もケンブリッジにいくよ・・・。」
 進学するという意味なのだ。・・・ケンブリッジに来年は受かるってことだ。・・・進学への 意欲がでてきてくれたのだ。彼は一歩踏みだしたのだ・・・彼はいい方向へとなっていっている。喜ぶべきなのだろう。
「あと・・・それまで、ボーイフレンドをつくらないでいてくれないか?」
「・・・え・・・・。」
「・・・だめかな?」
「そんなはず・・・・ない。」


―――その時捧げられるべき生贄、供物と捧げものを、汝受け入れ、かくしてわれ、汝が祭壇に雄牛を捧げん(詩篇50より)――


THE END

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